スピンオフ
【9月26日(土)】
昨日のホームページの中で「一人一人が歴史の舵取
りをしている」と書きながら、自分自身としても
「ああ、そういえば・・・」と改めて思うことがあり
ました。
実は私、今まで教員を「3回辞職」しています。
大学を卒業し、翌年から関東の県立高校の教諭とし
て3年間勤務しました。その時が「1回目の辞職」
です。退職金はたったの1万円程というか、3年間
なのに1万円も出たのかというか、内線で呼ばれて
事務室で「ホイ」っと現金を渡されました。
辞職の理由は、先輩(関東出身)の指示で「お前は
島根に帰れ」でした。当時、先輩には絶対服従のよ
うな風潮がありました。
従順に島根の採用試験を受け、翌年島根県の中学校
教諭となりました。出雲部の中学校を渡り歩き、気
がつけば教員生活も20数年となったある日、勤務
校の校長先生から「来年度から◯◯教育事務所で勤
務だよ」と言われ、新聞には人生2回目となる「辞
職」の文字。
担任をしていた学年の素直な生徒たちは「先生が辞
職って、やめるんスか?」「クビ?」「やってもう
たんですか?」「やっぱり!」などと盛り上がって
ました。
そして、3年間の幽閉生活を終えて現場復帰したの
も束の間、その3年後に校長先生から「来年度から
は◯◯市教育委員会で頑張って!」という冷たいお
言葉。辞職3回目。そして現在に至ります。
これまで自分の意志に全く関係なく(拒否権なし)、
3回も辞職です。
昨日のホームページを踏まえて考えると、そもそも
島根に帰っていなければ、今とは違う別家族を構成
し、生活していたのではないでしょうか。きっとデ
ィズニーランドに行く回数も増えています。
東京五輪も・・・。
お示しした「カツオ君」でいう家系図が大きく変わ
ったはずです。人生とは本当に分からないものです。
まだ若い中学生ならともかく、大人の方々であれば
きっと良くも悪くも「そういえば家系図を塗り替え
たわ」と感じられる自分だけの瞬間があったのでは
ないでしょうか。
いくつになっても未来に責任を負うのが人でしょう
から、常に自覚と正しい判断・選択を自分自身で
行いたいものです。そしてどんな運命も受け入れて、
明るく前向きに生きていけたらいいですね。
<追伸>
決して今の自分が不幸だということではありません。
くれぐれも関係各所に誤解がないように・・・